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最期までのブログ

written by Masatetu Akimoto

執筆者の写真マサテツ 秋本

サイボーグになった記草屋マサテツの プロフィール(現在)

更新日:2020年3月10日



 

サイボーグになる前のこと

 

目が覚めて自分が生きていると知った時から人間の形を取り戻していくまでに思った詩


『ASAGAKITA』 ほら、足元が輝きだした 人生の目的を探す旅 今、君の横にある 見つけて終まわぬように 気づかぬように 知識や経験じゃなく 衝動でそれを引き寄せて 漆黒の中の手探り でも焦らないで 既に手にしているよ。 答えを探さぬように 調べ求めず 教えや計画じゃなく 瞬間の自分を信じて 手にしたぬくもり それが真実なんだ 眩しいほどの未来 強く強く抱きしめて ASAGAKITA HIKARINAWASURESO 掲げたpowerに強く祈りを込めて 自分の持ってるLightに電源を入れ さぁ強くあの先の 世界を照つけろ そして場所を見開けて 大丈夫自分を信じろ ASAGAKITA ASAKIYUMEMISHI ASAGAKITA ANATANIAITAKUTE



operation 1 救命手術

急性大動脈解離の緊急救命手術を受け、医師が想定していたより強い回復力を見せ、退院を向ける頃には、全てを取り戻した気分になっていました。


病院内でも、どの患者よりも元気に振舞い、身も心も自分をだますように活動しました。


しかし、退院後の生活はそれほど易いものではありませんでした。

体力の減退、意識の停滞、集中力が薄れ、それをひた隠しにしながらの対応。

「もう、すっかり元の通りですよ」と嘘ぶいていましたが、所詮、空元気の嘘は長く続かない。


結局、その年の冬に二度目の手術を受けることになりました。


救命手術後に、主治医から申し伝えられていた二度目の手術はある意味、予定されたものでしたが、主治医が望んだのは、「二度目の手術はできれば5年後を想定したい」


つまりは、リスク避け、延命を図るにはできるだけ時間を稼ぎたかったのですが、予定の5年がその十分の一の半年に繰り上がってしまったわけです。



Operation 2 上行大動脈+弓部大動脈+脳血管置換術

二度目の手術は14時間を要しました。

ICUで目を覚ました直後に、「あぁ、この手術は失敗だったんだな」と自覚しました。

呼吸が苦しく、息が出来ない上に、尋常ではない痛みがぶり返す。

この状態を続けることは不可能で、意識が続く限りの地獄だと認識しまいsた。


しかし、人間の回復力は大いなるものです。


一秒が辛く苦しかった段階が五秒になり、十秒を耐え、少しずつできるが増えていくと意識は可能性を求めだす。


しかし、今回はただでは済まなかった。

脳血管置換術の際に反回神経に触れ、左声帯の麻痺という障害を産みました。

つまりは、声を失ったのです。

それでも最初は全く出なかった声も徐々に取り戻し、訓練の末、ドナルドダックほどの嗄れ声に落ち着きました。




その後、

Accsident 外傷性くも膜下出血
Operation 3 腹部大動脈置換術
Operation 4 胸部大動脈ステントグラフ術

を発症3年の間に経験し、自分の人生でできなくなったことを一つひとつ積み重ねていきました。


そして、2019年を迎え思い当たったのです。

自分の人生はこの歳で終わるなと。


その年は年の初めから調子が悪かったことと、自分の父親が没77歳、母親が没37歳だったことで、間の57歳が決められた運命と強く思ったのでした。 そこで、この一年でよりよい最後を迎えるために考えたことが、

チームを作ること UMAで掲げたように、響きあうチームメイトがいればその仕事が志半ばで自分だけリタイアしても続いていってくれる。そう思ってプロジェクト企画を書き出しました。


しかし、自分の能力のせいもあって、チームがうまく構築できない。


焦った挙句に、残りの時間を考え暴挙を考えます。それが、

終活の就活


終わりにこの逆で決めてやろうと思い、就活に打って出ます。

しかし、57歳の老年に就職は簡単ではありません。

エージェントを通して3社ほど、内定をいただきましたが、そもそも目的は「就職」ではなく「就活」だったことで、心が萎えて、目的は達せられたと思ってしまいました。

就活にご尽力いただいた人には、全くもって不義理な話です。


そんな中、意識していた57歳は風のように通り抜け、予定していなかった2020年に足を踏み入れることになったのです。


強く焦りました。


予定していなかった未来がやってきた。

全く何も用意できていない。


迷った挙句、何か発信をしなくてはと思いつき、


⁂ 2020年1月:娘と一緒にYouTubeを始めました ⁂




そして10年ぶりにBlogを書き出しました。


今は、小学生のように思っています。

いつ来るかわからない時までの「最後までBlog」


その時まで、僕は、ブロガーになりたい!

      僕は、ユーユチューバーになりたい!

      僕は、インフルエンサーになりたい!

      僕は、何かを届ける人に、なりたい…。


 


 


 

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